ご無沙汰しております。 札幌も雪解けが進んでおりますが、海抜150メートルの自宅周辺は、まだまだ雪の山に埋もれております。
自宅の庭の積雪は、まだ1メートル近くあります。屋根から落ちた雪がその半分程度ですから、札幌中心部から比べると、積雪の多さが分かります。これでも、例年よりも少ないそうです。 例年ですと、完全に雪が融けるのは4月下旬です。まあ、これは海抜150メートルの自宅周辺の話で、札幌の積雪がゼロになるのは、4月上旬です。 雪が多いのは、子供のころから慣れておりますが、歳を取ると除雪作業は堪えますね。しかし高台なので、洪水の心配はありません。 また地盤が良い(岩盤)ので、地震には強いですね。震度1や2ではビクともしませんし、震度3~4では多少揺れる程度です。札幌の場合、過去に震度5以上の地震は無かったようなので、今のところは安心しております。 しかし、同じ札幌市内でも、地盤が悪いところ、特に手稲や屯田・篠路方面(元は泥炭地や畑地)に住んでおられる方は注意が必要です。私の親戚が建築業をやっていた50年以上前、「棟上げ式」の翌日に工事に行ったら、家が傾いていたとか、タバコの吸い殻を捨てたら、泥炭地の地面が燃え出した、という話を聞いたことがあります。 現在、その地域には大きなマンションや住宅が多数建ち並んでおりますが、果たして、くい打ちがきちんとなされているのか心配です。
「前壁中隔梗塞」の疑いがある。 昨年の9月に、「歯茎の潰瘍」を北海道医療センターの耳鼻咽喉科で診てもらったところ、異常なしと診断結果があり、一応、安心はしておりますが、どうもいつまでたっても歯茎が重苦しいため、長年のかかりつけの医者である北大病院の消化器内科の主治医に質問したところ、「心臓のほうに原因」があるかも知れないと言われ、同病院の循環器内科に紹介状を書いてくれました。 また、自宅近くの医師にも、心電図の波形が「前壁中隔梗塞」の疑いがあると診断されたため、心臓CTの検査を2回(謝金扱い)受けました。 その結果、動脈硬化が見られるため、心臓カテーテルの検査を勧められたわけですが、多少のリスクを伴うようなので、循環器内科の医師に「心不全で入院している母の容態を考えて検査を受けたい」と伝えておきました。 その理由は、私が先にポックリ逝ったら、母の医療費の支払いや、外泊したときの介護、もしもの時の役所への各種手続きなどが出来なくなるため、やはり、心臓カテーテルの検査は、万全な健康状態で臨まなければなりません。まあ、万全な健康状態なら検査など受ける必要もないと言われそうですが。
母の容態 母が心不全で入院してから9カ月が経過し、3月8日で89才になりました。当日、叔母と伯父が誕生祝いを兼ねて見舞いに来ました。 夕方には、私の弟と姪(母から見て孫とひ孫)の家族が見舞いに来て、家族写真を置いていきました。 母と叔母は、2つしか歳の差はありませんが、入院している母を見ていると10歳以上、離れているように見えてしまいます。 特に、入院すると倍速か三倍モードで歳を取るように思えます。
2016/3/16 石川栄一 |
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遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。 正月の三が日、弟の家族や姪の家族が挨拶に来た際、姪の子供にお年玉を渡したとき、一番下の子が「なーんだ、紙のお金か」というのです。どうやら子供は「硬貨」のほうが喜ぶようです。
私のほうは盆や正月関係なく、かわり映えがしない日々を過ごしていますが、日を追うごとに体力の低下を感じます。これも歳のせいだと諦めています。日常的には、ツイッターやホームページなどで、ストレスを解消しております。 私のような一般人が、言いたいことを言っても、体制には全く影響はないと思いますが、それさえも言えなくなったとき、日本は取り返しがつかない方向に向かうのでしょうね。 さて、札幌は、例年よりも雪が少ないようですが、氷点下の真冬日が続いております。雪が少ないと言っても、自宅周辺には、40センチ以上の雪が積もっております。
子供の頃は、冬になると夏が懐かしくなり、夏になると冬が懐かしくなったものです。初雪が降ると、すぐにスキーで遊びましたが、数センチの積雪では、地面の土にスキーの跡が2本クッキリと残りました。 また、小さな雪山を作り、ジャンプにもチャレンジしました。 ジャンプと言っても、飛行距離は1メートル程度ですが、子供の頃はそれでも楽しかったものです。何せ、テレビもゲーム機もない時代でしたので、冬は、スキーかソリで遊ぶしかありません。 ソリと言えば、馬ソリを思い出します。昭和20年代初期は、トラック(当時はオート三輪が多い)と同じくらい、馬ソリが走っていました。走るといっても、人間の歩く速さと同じくらいの速度です。 ソリの床はスノコ状になっていて、馬がソリを引くと、地面が動いて見えるのです。本当はソリ(自分たち)が動いているのですが、天動説のよう見えます。 当然と言えば当然なんですが、子供にとっては、それにスリルを感じ、楽しかったですね。このように、タダで馬ソリに乗れたのは、昭和の人々の心に、助け合いの精神と人の良さがあったからなんでしょうね。 この事を、室蘭出身の妻に話すと、「札幌は田舎だったんだね。室蘭では、大型トラックがバンバン走り、馬車や馬ソリなど見たことがありません」などと言うのです。 確かに、昭和の室蘭は、富士鉄(新日鉄)や日鋼(日本製鋼所)などを中心とした工業が盛んで、馬車や馬ソリでは、非能率的で、仕事にならなかったんでしょう。 その点、札幌では、私が住んでいた中央区でさえ、多くの馬車や馬ソリが行き交い、牧歌的な雰囲気がありました。 ただ一つの問題は、春になったら吹く「馬糞風」でしたが、当時の札幌市民は大らかで、それほど気にはしていないようでした。そういえば、馬車や馬ソリは、しばらく見ていませんね。
「母の容態」 まず、払いすぎた『食事療養費』は、広域連合(北海道後期高齢者広域連合)から還付(2015.12.15)されました。 しかし、どういうわけか、5万円ほど値切られました。やはり、病院をクビ?になったソーシャルワーカーの説明を、キチンと聞くべきでしたが、「(ソーシャルワーカーから)自己負担限度額の制度」の説明が全くなかったので、聞きようがありませんでした。 ま、いいか・・・これにて一件落着!。 母の容態ですが、それほど良くもなく悪くもなく、なんとか生命を保っている状態です。しかし歩けないため車椅子を常用しています。 昨年の暮れに、年末年始は自宅に外泊させることも考えたのですが、やはり、風邪でも引かせたら、肺炎を起こし、命取りになるため、暖かくなるまで待つことにしました。 札幌は、これから2月にかけて、どんどん寒くなるので、ホームページ上では暖かい話をしたいものです。では。 2016/1/14 石川栄一 |
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先月の下旬、札幌にも大雪が降りました。 札幌で44センチの積雪 11月としては62年ぶりの大雪に。 北海道ではきのう24日から雪が降り続いている。今シーズンはこれまでほとんど雪が降っていなかった札幌でも、きょう午前に44センチの雪が積もり、一日で雪景色へと変わった。札幌で11月に積雪が40センチを超えるのは、1953年以来62年ぶりのことだ。 (ウェザーマップ)より しかしながら、その後は、積もるような雪が降らず、札幌市内中心部に積もった雪はほとんど融けて、現在は小康状態です。 札幌西区の高台にある自宅の周りも春先のような感じです。例年なら雪が降ると根雪になるはずですが、今年は暖かいんでしょうね。
いま、地球温暖化が問題になっていますが、北海道の寒冷地に住んでいると、地球の温度が更に10度くらい上がった方が良いように思えてきます。 南極の氷が溶けてなくなると、現在より海面が40~70m上昇すると考えられているようですが、私の自宅は海抜150mのところに建っているので全く問題はありません。 しかし、そうなると、札幌市内の大部分は、海に沈んでしまうんでしょうね。当然、海外の主要都市や太平洋の島々も、海の藻屑となってしまうでしょう。 ちょうど、強大な軍事力を背景に「世界の覇権」を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて、海中に沈められたとされている「アトランティス」のようにです。 現在21世紀でも強大な軍事力を背景に「世界の覇権」を狙っている国は多々ありますが、災いはそれらの国のみにして欲しいものです。 そうならないためにも、地球温暖化に備え、今から「海中都市計画」を立てた方が良いかも知れません。 そもそも、100万年前の日本列島は、大陸と陸続きで、隆起したり、沈み込んだりして、現在の日本列島が誕生したわけですから、今後、100万年後に日本列島が存在しているかどうかは、神様でも分からないでしょうね。
「年賀状」 そろそろ、年賀状を書いて出さなければならないと思っていますが、今年は「喪中葉書」が多いですね。現時点で12通も届いています。すべて私の関係ですが、そのうち、10名の方が90歳~99歳で亡くなっています。大往生ですね。安らかにお眠りください。 90歳以下の方では、71歳で亡くなられた私の先輩(事務局専門員のO氏)がおります。先日、ご自宅まで「弔問」に行って参りました。 O氏は、国家公務員上級甲種の資格を持っており、北大事務局の幹部候補の一人でしたが、交通事故で視力を失ってから「音声認識システム」に頼らなければ、仕事が出来なくなってしまい、本人にとっては無念だったと思います。 しかし、現役中から退職後も、国内や海外のマラソンや北大事務局関連主催の各種会合にも参加して、充実した人生を送られたように聞いております。 O氏には、昭和43年に「北工会レコード鑑賞会(北大工学部のサークル)」の立ち上げ時に、たいへんお世話になり、また「北工会秀岳会(同)」でも、様々な山行でお世話になりました。 O氏のご冥福をお祈りします。 (映像と音声は当時1970年のものです。)
「母の容態」 母が心不全で入院してから半年が経過しました。今、現在は安定しており、どうにか年を越せそうです。しかし、リハビリの回数が減ってきており、身体の自由も利かなくなってきたようです。 当然、まともに歩くことさえ出来ないので、今年の介護認定で「要介護3」になってしまいました。「要介護3」以上になると特養(特別養護老人ホーム )に入れる資格があるのですが、介護のレベルが上がるほど諸経費も上がるので、それほどメリットはなさそうです。 そもそも特養待ちの方が大勢いますので、現時点では入所は無理でしょう。その前に「特養」より先に「来世」へ旅立つかも知れません。こちらの方が、可能性が大きい。 「えっ!あのソーシャルワーカーがクビに?」 前回、ここで「自己負担限度額の制度について」下記のように記載しました。 (要旨)制度【区分1(住民税非課税世帯)】を知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない(北海道後期高齢者広域連合の説明) つまり、北海道後期高齢者広域連合の説明では、届け出が遅れた理由が、ソーシャルワーカーの説明の有無や、理解の有無等は理由にならず、やむを得ない事情、例えば出張や長期入院等で、区役所に届け出が遅れた場合に限り、支払いすぎた分は還付します、とのことです。 ちなみに、私の母の場合、「現役並み所得者」と「区分I(住民税非課税世帯)」とでは、その差額分で、月々約7万円以上多く支払ったことになります。 この事が原因かどうかは、詳しくは分かりませんが、担当のソーシャルワーカーが病院を辞めました。 私としてみれば、何となく後味が悪いですね。しかも、還付申請してから2ヶ月になりますが、払いすぎた『食事療養費』は、まだ北海道後期高齢者広域連合から還付されません(2015/12/14時点)。 今年のものにならないように思います。 「医療費」や「食事療養費」は、取るときは、さっさと取るのにね。 ではまた。 2015/12/14 石川栄一 |
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早いもので、もう11月。庭木の葉も落ち、先日、落ち葉拾いをして袋詰めを行いました。ビニール袋に詰めて今月のゴミ(枝葉類)回収日に出す準備が整いました。冬囲いはこれからですが、冬を迎える庭は何となく殺風景ですね。
早い話が、「歯茎の潰瘍」の原因が分からないため、治療の方法がないということです。まあ、常時、痛むわけではないので、痛いときにボルタレンやロキソニンといった中枢神経用薬で抑えるのですが、これらの痛み止めは胃に悪いので、なおさら「歯茎の潰瘍」が悪化するのではないか、と”不安”です。また、この”不安”が、胃にも影響し更に「歯茎の潰瘍」が広がるようにも思えます。
■母の容態 母が心不全で入院してから、5ヶ月が経過しました。 十月の中旬(10月18日頃)、母の両手に青たんが出来て、かなり痛がっており、特に右手が動かせない状態でした。この事で、病院の看護部長は、私に謝るだけで原因を話しません。 このような状態では食事も出来ないようなので、翌日、看護師長に「母の両手の自由が利かなくなった原因が分からない場合は、整形外科病院の方に転院させてください」に伝えると、「来週の月曜日(10月26日11:30)に主治医(院長)の方から説明します」という答えでした。 そして当日、私と妻、そして弟夫婦と4人で、母が入院している病院に行き、主治医(院長)の説明を聞いたところ「腎臓の働きが弱まったため、 血液の循環が悪くなり、両手に鬱血を起こした」との事でした。 妻と弟夫婦が、この説明で納得したので、私は、それ以上は追求しませんでしたが、もしそうなら、看護部長がなぜ私に謝ったのか不自然です。いずれにせよ、現在、母の両手は利くようになり、痛みも和らいだようなので、ひとまず安心しております。 ■自己負担限度額(月ごとの負担の上限額)の制度について 制度【”区分1(住民税非課税世帯)”】を知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない(北海道後期高齢者広域連合) 次は、母の入院費のことで、何かキツネにつままれたような事態がありました。それは、毎月11万円以上支払ってきた母の入院費についてです。 入院費のうち、『医療費』については、払いすぎた差額分は届けなくても還付されますが、『食事療養費』については、制度【”区分1(住民税非課税世帯)”】を、知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない、とのことです。 今年の5月に、母が心不全で倒れ、入院となった当日、病院のソーシャルワーカーから入院費について説明を受けました。そのとき私は、母が生きるか死ぬかという瀬戸際だったため、気が動転して、ソーシャルワーカーの説明がよく理解できず、そのため「現役並み所得者」の負担になってしまった訳です。現在、北海道後期高齢者広域連合に『食事療養費』の払いすぎた分の還付請求をしております。 北海道後期高齢者広域連合の説明では、届け出が遅れた理由が、ソーシャルワーカーの説明の有無や、理解の有無等は理由にならず、やむを得ない事情、例えば出張や長期入院等で、区役所に届け出が遅れた場合に限り、支払いすぎた分は還付します、とのことです。 ここを読まれている私の知人、友人の方には強く申しておきます。 高齢になって入院した場合、払いすぎた分があれば、『医療費』は届けなくても還付されますが、『食事療養費』については、制度【”区分1(住民税非課税世帯)”】を、知っていたら還付するが、知らなかったら還付しない、ということですので、十分な注意が必要と思います。 ちなみに、私の母の場合、「現役並み所得者」と「区分I(住民税非課税世帯)」とでは、その差額分で、月々約7万円以上多く支払ったことになります。 いずれにしても、病気ほどバカバカしいものはないですね。楽しいことをして、お金がかかるのならともかく、何せ、痛い思いをして、お金がかかるのですからね。それも半端じゃない。 さあ、今日も元気にいきましょう。 ではまた。 2015/11/02 石川栄一 |
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私も団塊の世代ですが、この歳になると、あちらこちらにガタが来るものです。5年ほど前、北大病院の歯科に「左ほっぺたの異常(感覚が鈍い)」を訴えたところ、入れ歯が合わないのが原因らしく、治療を始めてもらいました。
ところが、2年ほど前から右下の歯茎が痛むようになり、医師の紹介でJR札幌病院でMRIの検査を受けましたが、「異常は見当たらない」とのことで、入れ歯の治療を続けておりました。 そうした中、今年の8月頃から右下の歯茎の潰瘍が拡大してきたため、いつもかかっている近くの医院の医師(北大病院循環器内科出身)に診てもらったところ、「膠原病」か「カビ」かもしれないと言うことで、北海道医療センターの耳鼻咽喉科に行くよう、紹介状を書いてくれました。
翌日(9月上旬)、北海道医療センターの耳鼻咽喉科に行き、診てもらったところ、『「膠原病」でも「カビ」でもない、一番可能性があるのは「悪性腫瘍」です』と言われ、メス3本で献体を取られました。医師のテーブルの上には、大きな箱の中に100本位のメスが入っていたのには驚きました。 私は、今はすぐに「癌の告知」をするんだ、と思っていたら、妻から「癌でないから告知をするのよ」と言われ、一応安心しています。 結果は「一週間後に出ます」と言われたため、何となく落ち着かない一週間を過ごさざるを得ませんでしたが、結果が出ると言われた当日、北海道医療センターの耳鼻咽喉科行き、医師の診断結果を聞くと、「あと一週間かかります」と言われガッカリ。その日は抜糸だけでした。 そしてまた落ち着かない一週間を過ごし、二週間目に医師の診断結果を聞いたところ、「悪性腫瘍ではありませんでしたが、悪性リンパ腫の可能性がゼロではないので現在検査中で、結果は二週間後に出ます」というのです。 とうとうまた、落ち着かない二週間を過ごすことになり、予定では明日(9月28日)結果が出ます。しかしこの調子では、潰瘍の原因の検査はまだまだ長引きそうです。 仮に、悪性リンパ腫だったら抗がん剤や放射線治療をしても、私の生命はそう長くは持たないでしょう。また、悪性リンパ腫ではないとしても、潰瘍の原因が分からないため、治療の方法がないと言うことになります。 しかし、北大歯科では「入れ歯が合わないのが原因」ということで5年間(歯茎が痛むようになってから2年間)も治療し、近くのかかりつけの医院では「膠原病」か「カビ」かもしれないと言われ、北海道医療センターでは「悪性腫瘍や悪性リンパ腫の可能性」などなど、テレビで有名な医師が言っていたように「高齢化社会では、訳の分からない病気がたくさん出てくる」と言うのは本当のようです。 ■ 国勢調査の思い出 今月、町内から国勢調査の説明書を受け取りました。いわゆる「スマート国勢調査」というものです。インターネットで回答するわけですが、数分で終わりました。いやー簡単になったものですね。 国勢調査といえば50年前を思い出します。それは、私がまだ高校生の頃、1965年に国勢調査がありました。私は叔父の紹介により、北海道庁でアルバイトをすることになりました。 当時、北海道の国勢調査の本部である道庁企画部は、中島公園の池の畔にありました。12月も下旬だったので、公園の池はスケートリンクになっており、若い職員は昼休みスケートを楽しんでいました。 私はスキーは得意でしたが、スケートはまったくダメで、スケートを付けてまともに立つことさえ出来ません。
1月に入ってから、若くて可愛い女の子(当時、アイドルであった由美かおるにそっくりな16歳くらいの女性)がアルバイトとして採用され、私と同じ係で仕事をすることになったのです。 国勢調査の調査票は、各市町村から道庁の企画部に集められました。私達はそこで、必要事項が調査票にきちんと記入されているかどうかを確認し、誤記やマークの仕方などを修正後、段ボール箱に詰め、総理府統計局(現在は総務省統計局)に送る準備をしました。 箱詰めされた調査票は、段ボール箱で数百個にもなり、倉庫の中に高く積み上げられました。最後は、荷札に、差出人である「北海道庁企画部の住所」のゴム印を押す仕事でした。 1日がかりで、私と女の子で荷札にゴム印を押して、ようやく終わった頃、係の主任が深刻な顔をしながやってきました。 主任は私たちに、ゴム印に誤りがあると言うのです。 そこで私は、ゴム印を押した「荷札」をよ~く見ると、差出人の住所(都道府県名)が「北海道」ではなく「北道道」になっていたのです。それを見た私と女の子は呆気にとられました。 主任は「何百枚もゴム印を押していて気づかなかったの?」と言いましたが、私は「まさか、ゴム印の都道府県名が間違っているとは知りませんでした」と答えるしかありませんでした。 そして私は「ゴム印を押し直しますか」と聞きましたが、主任は「ゴム印を作り直さなければならないため、もう締め切りに間に合わない」と残念そうに言い残して席に戻って行きました。 そもそも、これは誰の責任なんでしょうね。 1.ゴム印を発注した主任の責任か? 2.ゴム印を造ったハンコ屋の責任か? 3.ゴム印を押した私と女の子の責任か? ....それは今でも疑問です。 やがて、冬休みも終わり、女の子とも別れなければならなかったので、多少残念でした。 あるアルバイトの女子大生から「可愛い女の子と別れて寂しいでしょ?」などと、からかわれました。 1965年の国勢調査によると、当時の札幌市の人口は約80万人でしたが、それから50年が経過した現在、人口は190万人を突破しました。これは、1965年当時から110万人以上も人口が増えたことになります。 北海道では過疎化が進み、道民の多くは、生活に便利な札幌経済圏に集中しています。ある統計学者の言によりますと、今後、20年以内に、道民の70%以上は札幌経済圏に集中し、また、その70%以上が65歳以上の高齢者になるとのことです。 札幌市は将来、人口200万人の「巨大老人都市」になるようです。 ■ 介護老人保健施設
母が入院してから、今月で早くも4ヶ月目になり、病院のソーシャルワーカーから、介護老人保健施設に移るように準備をしてほしい旨、言われたため、自宅近辺の数ヶ所を見学してきました。 比較的利用料が安く長期入所が可能な「特別養護老人ホーム」も見学させてもらいましたが、待機者が多いため難しいようでした。 そこで、介護老人保健施設を当たったところ、自宅近くに三ヶ所ほど施設があり、その中の一ヶ所に申し込んでおきました。 ところが、先日(9月24日)、母の主治医から病状などの説明があり、主治医は「介護老人保健施設に移るように指示した事は一度もない。このまま治療を続けるように」と言うのです。 主治医の説明を聞くために同席した私の兄弟や叔母は、ソーシャルワーカーと主治医の話の食い違いに疑問を感じましたが、主治医の説明を信じ、このまま治療を続けてもらうことになりました。 自宅も、母がいつ外泊や退院しても良いように、段差をなくし、ソファーベッドを置き、布団を新調、小型の車いすも購入しました。 また、母の部屋とトイレに緊急用の「呼び出しチャイム」をセット。 これでどうにか、準備万端なんですが、果たして母が外泊や退院ができるかどうか心配です。またそれよりも、明日の北海道医療センターの検査結果が心配です。 しかし、ヒトが死んだら、金持ちも貧乏人も、皆ガイコツになるのです。ヒトの死亡率は100パーセント。ヒト様に迷惑をかけずに、清く、正しく、楽しく生きましょう。 ではまた。 2015/09/27 石川栄一 |
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札幌では、暑い日が続いた夏も終わり、朝晩は肌寒くなり、一気に秋に突入したように感じます。皆さんお変わりありませんか。 先月(7月)上旬は、アマチュア無線局の免許更新で何かと慌ただしい日が続き、締め切りに、ぎりぎり間に合わせることが出来ました。 その訳は「総務省 電波利用電子申請届出システム Lite」を利用して更新すると、再免許の申請手数料が通常、3,050円のところ、電子申請の場合は1,950円と、1,100円ほど安くなります。 そこで私は、最近は何かと出費が嵩んでいるため、1,100円を節約しようと思い、電子申請を行いました。しかし、総務省北海道総合通信局からの返答がなかなか届かないことと、締め切り日が迫っていたため、文書にて通常の申請も行いました。 その翌日、総務省北海道総合通信局から「電子申請と通常の申請」がダブっているとの電話があったため、時間がないため、電子申請を取りやめ、通常の申請(手数料3,050円)に変更する旨、伝えました。 まあ、1,100円を節約するために、2週間ほど時間を無駄にしたと言うことです。「時は金なり」・・・もったいない事をしました。
これは、免許がいらない携帯電話やスマートフォンが、一般に普及したことが大きな原因と思われます。 次の報告ですが、5年ぶりに、メインのPCを、新規購入(購入日: 2015/7/11)しました。機種名は、DELL XPS 8700で、結構、高速のものです。 今までのPCでも、それほど不足はなかったのですが、ホームページビルダーに、少々ストレスを感じていたので、思い切って買い換えました。
これが、私の人生で最後のPCになるかも知れません。 私のPC歴は、勤務先の大学の実験において、1977年のマイクロコンピューターSDK-80KIT(CPU インテル8080A)の製作が切っ掛けです。その後、SDK-85(CPU インテル8085)、SDK-86(CPU インテル8086)とグレードアップします。 一方、パソコンの分野では、シャープのMZ-80K「1978年当時、クリーンコンピュータとして、OSがテープで供給された。当時はBASIC(ベーシック)が主流」を購入したのが始まりです。 1980年代、NEC日本電気のPC88とPC98シリーズの全盛時代に、PC-8001mkIIを購入。そして、PC-9801Fに買い換え、グレードアップ。この頃のOSは、MS-DOSとスタンドアロンBASICです。 1992年にはアップル社のMacintosh II siを購入し、Macintoshにのめり込み、Power Mac6100/60AV、Power Mac8100/80AV、Power Mac9500などを経て、Power Mac G3、G4、G5と格上げ購入。 一方、WindowsPCでは、マイクロソフト社のWindows 95の発売と同時に、富士通 FMV-DESKPOWERを購入。更にSOTEC(ソーテック(旧)工人舎) PC-Station(1999年)と変遷し、2000年頃からマイブランドのWindows PCの制作に着手。現在に至ります。 この三十数年間、PCに投資したお金は、数百万円に上ります。 今回、新規に購入した、DELL XPS 8700の感想ですが、まず起動が速いことです。1分以内で起動完了します。 各種アプリケーションの起動も速いです。購入の切っ掛けになったホームページビルダーのストレスですが、更新や保存では、体感的には、多少早くなったように感じます。 次の報告は、入院している母の容態です。 心不全の症状も和らぎ、現在は落ち着いています。ただ、もう歩けないようです。 母は毎日のように、リハビリは受けているようですが、歩くという気力は全くなさそうです。私も時々、リハビリの様子を見学していますが、やはり歩くのは辛そうです。現在は、マッサージ中心になっています。 入院当初は、毎日のように見舞いに行きましたが、現在は週に2~3回程度の割合で見舞いに行きます。私はその都度、「早く退院できるといいね」と問いかけるんですが、母は、家に帰ると、身体中が痛くなると思っているせいか、退院したいとは言いません。 母はこのまま、入院生活になりそうです。 これは、病院からの7月分の入院請求書です。
母が心不全で倒れて、ひとつ分かったことがあります。それは、私の親族の本心です。 いままで、高齢の母のことを気遣っているかのように、声をかけてくれていても、今回のように、心不全で倒れても、知らんぷりになってしまう親族がいることです。まあ、それが人間なんでしょうね。 ではまた。 2015/08/28 石川栄一 |
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2年ぶりの近況報告です。 空白の2年間、いったい何をやってきたのかと言いますと、主に、自家発電のためのソーラーパネルの取り付けと配線。 いやー重労働でしたが、電気代が月5千円以上節約できるので、自己満足しております。 そして、毎日のように、ホームページの制作とメンテナンスをしておりました。
他にもいろいろありますので、思い出したら後日、報告します。 それからこの2年間、私の親戚に不幸が続きました。 まあ、この歳(自家用車はもう少しで「枯葉マーク」です)になると、結婚式よりもお葬式のほうが多くなるものです。 しかし、昨年の6月に、10年(それ以上かな)ぶりに私のいと子の結婚式があり、出席させていただきました。いと子と言いましても、私の娘と同じ年齢です。懐かしかったですね。懐かしいというのは、いと子や親戚に会ったことではなく、結婚式に出席したことと、独特としたあの雰囲気が懐かしかったですね。 しかし、不幸は忘れた頃にやってきます。 直近では、一昨年、元道職員の叔父が亡くなり、その1ヶ月後には、別のいと子の夫が亡くなり、昨年は、義妹の親が亡くなり、というように不幸が続きました。 そして、今年(2015年)の5月、私の母が心不全で入院しました。 今年の4月頃から、身体のあちらこちらが痛いと体調の不調を訴え、4月下旬には、右足に血腫ができて、JR札幌病院で手術を受けました。 しかし、母の体調は回復せず、とうとう、身体の自由が利かなくなってしまいました。 やがて、食事も出来なくなったため、近くの病院に連絡を取り、母を搬送しました。いやーー、身体が動かない人間というのは、非常に重たいものですね。クルマに乗せるのが大変で、私と妻と娘と三人がかりでようやく乗せました。いや、乗せると言うよりも、押し込んだといった方がよいかもしれません。 病院に着くと、女性看護師が車いすを用意して待っていました。 そして、そのまま、医師の診察を受けたのですが、「心不全と脱水症」で、即入院という事になったわけです。主治医からは「今までよく頑張って介護してきましたね。もう限界ですね」と言われました。 現在、母が入院してから40日経ちました。いまは、心不全の症状も和らぎ、安定した状態です。食事もきちんと食べられるようになりました。 今はひとまず安心なんですが、八十八歳を過ぎていますので、八年間患ってきた認知症とも重なり、急速に老化が進んでいるようです。言葉ではうまく表現はできませんが、ユニセフのコマーシャルに出てくる人々のように、やせ細ってガラガラです。 また母自身も、退院は無理と覚悟しています。 幸い、病院が、自宅からクルマで3分というロケーションなので、毎日、見舞いに行っております。 今一番心配なのは入院費です。心不全には介護保険は、あまり関係なさそうです。介護の等級(レベル)が高いほど、入院費が高くなるのは意外でした。確かに、看護師や介護士の手間が掛かるので当然と言えば当然ですが、私の母の場合は「要介護2」ですので、いくらか安くなりそうです。
想定外だったのは、高額な入院費(医療費や食費などに月10万円以上)です。そのため、母の年金と預貯金がすべて入院費に消えそうです。 私も、残される家族には、経済的な負担をかけないよう心がけたいと思っています。少なくとも、直葬でもよいので、葬式代くらいは残したいと考えておりますが、計画通りにいかないのは世の常ですね。 では、また。 2015/07/09 石川栄一 |
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応用制御同窓会ホームページに掲載した 2013/6/20以前のものです。 |
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